炭坑夫の末裔たち

かつて炭坑で賑わったまちの日常譚。飽くまでフィクション、です。

産学官

ゴールデンウィークも終わり、日差しが強い。

この季節になると、町には海側からの風が吹き込む。

海側の風は暖かで適度な湿り気があり、それ自体は快適だ。ただし鼻が詰まっていればの話であるが。

海からの風は、上陸時に海岸のコンビナートから強い刺激臭を拾ってやって来る。

 

臭いには数種類があり工場や時間、風向きによる。

ビニールを燃やしたような臭い、ラーメン屋の排水溝のような臭い、体調不良時の屁のような臭い・・・などなど。海岸近くにある大型ショッピングセンターは町の住民に親しまれているが、ここの駐車場で車を降りると途端に頭が痛くなるという経験は多くの人に共有されている。

また臭いは無くても目がちかちかしたり、喉が痛くなるケースもある。

気のせいか、目が充血している人や、咳が激しい人が多いようにみえる。

今年の春は中国大陸からの黄砂とともにPM2.5が話題になった。テレビやネットの情報で不安をかきたてられた方も多い。だが、大陸からのPM2.5よりも先にこの町で発生しているものを心配するべきだろ!?と自嘲気味に居酒屋談義にのぼったものだ。

 

そうは言っても、これでもまだマシになった方、らしい。

昭和30、40年代は本当に酷かったようだ。まさに今の中国のように町全体に靄がかかっていたそうだ。それをコンビナートを運営する地元企業、自治体、地元の大学が協力して劇的な改善を成し遂げた。それはU方式として知られ、今では公害問題を抱える途上国から視察が来るほどだ。この町は産学官連携により、そして市民みんなの協力により美しい空気を取り戻した、と伝えられ、学校でもそう教えられている。

でも、水を差すようで恐縮だが、ひとこと言いたい。

「この町の空気は今も決してキレイではない!」と。

 

炭坑夫というと我の強い荒くれ者の集まりと捉えられがちだが、現場では一人の勝手な行動は全体の命を危険にさらすことにもつながる。基本的には和をもって尊しとなす社会だ。ポジションによっては思考停止も重要だったりする。多くの人は上からの言葉に従順である。悪く言えば烏合の衆だが、ここではそうあることが上手に生きる秘訣だ。

今もこの町に残るそんな気風は炭坑時代から連続するのだろう。

この企業城下町を治める工場が語る、市民の力で美しい空気を勝ち取ったというストーリー。

それに疑問を挟むことは、野暮なことなのだ。それは解っている。