炭坑夫の末裔たち

かつて炭坑で賑わったまちの日常譚。飽くまでフィクション、です。

Fさんの奥さんが立ち上がった日

佐村河内守とかいう人が話題になっている。

私はつい数日前までこの人の存在を知らなかった。このずいぶんと重たそうな名前を初めて見たときは、「サムラカワチノカミ」という昔の殿様の話かと思った。

世間には麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚のエピソードと重ね合わせた方も多かったようだ。盲目であるはずの尊師が週刊少年ジャンプを読んで笑っている姿を信者はたびたび目撃していたらしい。

 

ところで私が思い出したのは、近所に住んでいたFさん夫婦のことだった。

旦那は年齢不詳、だが60歳は優に超えていると思えた。だが、それは150cm台の小柄な体格、前歯を含む歯が複数本欠けていたこと、世間からの蔑視に疲れ果てたかの表情に惑わされた思い込みだったのかもしれない。

いつもアポロキャップをかぶり、ジーンズ生地のチョッキを着ていた。足元にはトライアルで買ったエアマックス風のソールの厚い派手なスニーカーを履いていた。

旦那によれば「うちの女房は若い。」そうだ。一説によると当時で30歳前後だったらしい。マツコデラックスのような体型だったが、足がわるくて車椅子なしでは生活できないとのことだった。性格は攻撃的で我が強く、旦那は尻に敷かれているというよりも、支配されているという感じだ。

 

二人とも無職で生活保護を受けている。暮らし向きは決して楽ではないと思う。ただ、もともとの受給額も大したものではないのだが、その少ない保護費でさえまとまって入るとパーっと飲み食いに使ってしまう悪い傾向があった。二人とも計画的に使うことができないのだ。古く崩れそうな借家はゴミ屋敷で、家賃、光熱費の滞納もひどかったらしい。

 

昼間、巨体の妻がデンとふんぞり返って座る車椅子を、痩せて小柄な旦那が汗をダラダラ流しながら押して散歩する姿をよく見かけた。

散歩の途中はいつも怒鳴り合うような大声で会話するものだから、周囲にも丸聞こえだ。

「あの弁護士は役に立たん!!」

怒気のこもった声で妻が叫んでいた。何の話かは分からないが、恐らくは借りた金を返したくないとか、買った物の代金を払いたくないといった相談なのだろう。噂では通販で買い物して代金を振り込まない常習者で、ついにどこの通販会社も相手にしなくなったと言われていた。

 

そんなある日、なんと二人に子供が生まれていた。

奥さんの体型もあり、妊娠していることに近所は誰も気付かなかった。突然の出来事だった。

この子が成人する時、Fさんは何歳になるのだろう?というか生きてるのだろうか?

まあとにかく、お祝いの言葉を掛けた近所の者たちにFさんは笑顔でこういった。

「これで、うちの女房も元気になることでしょう・・・」

はたして数日後、旦那のこの予言の通りになった。

歩けなかったはずの奥さんが車椅子なしでスタスタと歩いているのだ。

「どうやら子供が生まれて手当てが増えたのだろう。面倒な思いをして車椅子の演技を続ける必要が無くなったのではないか・・・」

と、邪推する者も複数いた。

 

あれから、もう10年が経つ。

Fさん一家は老朽化した借家の取り壊しに伴い、別の町内へ引っ越した。

たまに見かけることがある。Fさんが当時60歳を優に超えてたとすれば、現在は70歳を優に超えていることになるが、いたって元気そうだ。先日も成長した子供と一緒にいるのを見かけた。アポロキャップとジーンズ生地のチョッキは相変わらずだったが、先のとんがった靴を履いてスマホをいじりながらバス停に佇んでいた。

もしかしたら、思っていたよりずっと若いのかもしれない。