炭坑夫の末裔たち

かつて炭坑で賑わったまちの日常譚。飽くまでフィクション、です。

蓮田んぼ

とあるお婆さんから聞いた話。

このお婆さん、今では平気だが長いこと蓮根が苦手で食べられなかったそうだ。

 

現在は残っていないが、かつてはこの町にも蓮田んぼが結構あったらしい。

このお婆さんがまだ中学生だった、太平洋戦争中の昭和17年8月のこと。

大きな台風が上陸、その日は朝から激しく雨が降っていたが、夜中になりK川の西側堤防が決壊し大水害となった。

あれよあれよという間に水が天井まで溢れてきたという。

泥水の中を泳ぎ屋根まで登る、あるいは天井裏から屋根を突き破るして危うく難を逃れた人はよかった。

死者は県内で700人以上、この町だけで300人近くになった。

 

戦争中ということもあったのだろう、人手は多くない。散乱した建物の残骸を片付けるのも手一杯だ。

身元の不明な数多くの亡骸はとりあえず蓮田んぼに集められ、泥水面に浮かべられた。

集めたはいいが、しかし皆んな忙しく、手が回らないのである。残暑厳しい時期、亡骸は1週間以上のあいだ蓮田んぼに放置されていたらしい。

 

数十年間その光景が忘れられなく、蓮根を口にすることが出来なかったそうだ。