炭坑夫の末裔たち

かつて炭坑で賑わったまちの日常譚。飽くまでフィクション、です。

ヤエさん

松井ヤエさんは長崎の出身だ。原爆が投下されたとき中学生だったというから、今はもう80歳を超えている。

本人の話によれば、若い頃に長崎市内でも老舗の商店に嫁いだそうだ。しかし、ヤエさんが某新興宗教に入信し熱心に題目を唱えるようになったために家を追い出されてしまったらしい。その後、どういう経緯か知らぬがその宗教関係者の伝手でこの町にやってきた。

 

ヤエさんの主な収入は生活保護だ。加えて被爆者として年金だか補償だかも僅かに受けていると言っていた。

今は落ちぶれているが、かつては老舗の若奥様だった。自分は元来イイトコの人間だという思いがヤエさんにはある。生活保護の申請をするときに、借家の家主にこう頼みに来たそうだ。

「もし市役所の人がこちらに来て何か尋ねても、ワタクシが毛皮のコートを持っているってことは内緒にしていてくださいね!」

 

 

もちろん決して裕福ではない。体も丈夫とはいえず家は荒れ放題荒れている。しかし出かけるときは、貴婦人のような洒落たお帽子を斜めにちょこんと乗せ、レースの手袋をはめ、日傘をさすのだった。

行先は大抵、市内唯一の百貨店。フロアを見て回り、ごく稀にお菓子など買って帰る。以前、「子供さんにあげて」と割と高めのプリンを頂いたことがあった。ヤエさんに悪気はないと思うが、残念なことに賞味期限を1週間も過ぎていた。

 

ヤエさんは家賃や光熱費その他、掛がきくものの支払いを滞らせていた。

収入はギリギリではあるが暮らせないほどではない。でもいつも金は足りなかった。

ヤエさんが信心する教団では、貧しい信者仲間に施すことを勧めていた。人のことを構っていられる余裕なんか全然ないくせに、ヤエさんは近所の貧しい信者仲間に自分の生活保護費から食事やらなんやらと世話を焼いた。

この信者仲間というのもちょっと曲者だ。ヤエさんの暮らしぶりを知っていながら、いろいろとセビり、タカっていると近所で評判だった。

 

また、近所の婆さん連中と頼母子講を毎月やっていたそうだ。商売人連中のそれと比べれば僅かな金額ではあるが、ヤエさんには毎月5,000円はでかいと思うし、しかもいつ破綻するか判らないような人達の集まりだ。

 

信者仲間にイイカッコするために、ヤエさんは近所のヤバそげな女からトイチで借金していた時もあったようだ。

その女が集金に来たところを見かけたことがある。背は低くて固太りな感じ、髪は長いがイエティのようなザンバラ髪でプリン化した茶髪。

なによりも忘れられないのが、あの小さくて不快な目だ。数年前、F県O市でヤクザの家族が息子の友人など4人を次々と殺害するという凶悪な事件があったが、その逮捕された家族と同じ眼付だった。

 

数年前、ヤエさんは高齢者向けの施設に入った。それ以来、見ていない。