炭坑夫の末裔たち

かつて炭坑で賑わったまちの日常譚。飽くまでフィクション、です。

オールド・ルーキー

島本氏は今年で72歳になる。

父親は土建業を経営しながら、昭和30、40年代には長らく市議会議員を務めた。

当時この町は高度成長の活気に溢れていた。そこの利権を握っていた。周りの建築屋や労働者からはチヤホヤされまくった。島本一家の下品で成金的な羽振りのよさは市内に広く知れ渡っていたらしい。

島本氏は半分コネで入れそうな私立大学を卒業後、これまたコネで市内にも支店を持つ近県の地方銀行に就職した。

長男である島本氏はいずれ父親の地盤を継ぐものと、家族の誰もが思っていた。そして平成に入った頃、50代前半にして銀行を退職し故郷に戻ってきた。

誤算があったとすれば、父親が亡くなるのが早かったことか。父親が亡くなってから島本氏の帰郷までちょっと長いブランクが空いてしまった。

 

帰郷後は父親が残した会社、有限会社島本商事の代表取締役の肩書に収まった。とは言え、父親が亡くなってからの島本商事は登記簿上こそ存在すれど、もう十年以上も仕事らしい仕事をしたことがない幽霊会社のようなものである。

島本氏も人を集めて仕事を取ろうと試みるが、そんなに簡単にいくものではない。それでも父親のよしみでの応援を受けながら生活は出来た。

 

しかし、故郷に戻ってきた最大の目的は市議会議員になるためである。

かつての父親の支援者たちに声をかけた。しかし時は確実に流れており、既に他の議員を支持していたり、後援会活動にエネルギーを費やせる余裕がなくなっていたりで数は減っていた。それでもなんとか活動はできそうだ。

ここからが島本氏の苦闘の始まりだった。

 

支持者はなかなか思うように増えなかった。むしろ、氏の評判はよくないとさえも言える。

最大の理由は氏の姉だ。

昔の漫画やテレビドラマでステロタイプに描かれる下品で勘違いした成金、それがそのまんまリアルに現れた感じなのだ。女優の塩沢トキあたりなら面白おかしく上手に演じてくれそうだ。

姉は父親が議員だった頃、市役所にコネで就職した。だが、あまりにも高慢で、加えて仕事が全然できなかったので扱いに困っていたと聞く。あちこちの部署で引き受けを拒否されたが、ついにはナントカ会館の責任者という、肩書も見栄えがして、なおかつ実務は何もしなくてよいポジションで長らく過ごしたようだ。

父親が土建業+議員の利権でウハウハだった頃は、市内唯一の百貨店で下品に買いまくっていたらしい。彼女曰く「あの店の柱の1~2本はワタシのおかげで建ってるようなもんだから。」。

そして没落した現在もその気位が捨てられないのだ。

 

選挙活動が始まると、その横柄さはさらに目立った。

支援者、近隣の事業所を回ると、いちおう付き合いでそこの従業員たちが出迎えてくれる。しかし、そこで頭を下げるでもなく上から目線で、

「あなた住民票はここの市内?あら、そう、じゃあ今度の日曜、よろしくね。」

である。総理大臣の奥さんだって、有権者には頭を下げて御酌をして回ったりするのに。

島本氏自身もかなり横柄な方ではあったが、姉と比べると好人物にすら思える。

「島本だけならいいが、あの姉さんがいる限り応援は出来ん。」

そう言って去っていく支援者もいた。

 

何度も何度も出馬しては、惜しいところで落選し続けた(もっとも市議会議員選挙なんて、落選者よりも当選者の方がはるかに多いのだが。)。

ついには父親の代から住んでいた屋敷も借金のために競売に掛けられてしまった。

仕方ないので借家を探すことになった。が、ここでも姉は市内でも昔からの金持ちが住む地域にこだわった。そのため古くてぼろかったが、彼女は満足した。

土建業であるとか、生まれ育った地域とかにコンプレックスを持っているようで、それが態度に表れることで余計に父親の頃の支持者が離れて行った。

 

そんな島本氏であるが、10年くらい前に1度だけ当選したことがある。

定数32、候補者36のうちの最下位当選ではあるが、4年間は議員だった。

当時、市役所の職員はこう言っていた。

「あの人は議会でも本当に幼稚な質問ばかりしよる。周りで笑いよるのが聞こえんのじゃろうか?」

任期満了後の選挙では次点で落選した。

 

かつての支援者に宛てた今年の年賀状にはこう書いてあったそうだ。

「八十歳までは出馬します」

今年72歳。多くの議員は引退する年頃だ。