炭坑夫の末裔たち

かつて炭坑で賑わったまちの日常譚。飽くまでフィクション、です。

謎の人

各地から炭鉱に集まった人で成り立った町である。そのためかヨソ者に対してもオープンで優しい。

瀬戸内の温暖な風土も影響しているのかもしれない。同じ県内であっても江戸時代に藩の中心であった山陰の城下町とは対象的である。

 

ただ、このオープンさは時にはユルさとなる。

 

刈谷(仮名)氏がこの町に来たのは平成10年頃だった。世界遺産に指定されている天守閣が有名な関西地方の町からやってきた。

この町に来てからは有限会社A代表取締役の肩書で建築関係のブローカーのようなことをしている。自分で金づちを握るわけでもなければ、自社に職人がいる訳でもない。ただ、営業して仕事をつくっては大工に下請けさせている。個人事業の大工から見れば仕事をくれる人だ。

 

言うまでもないことだが、刈谷氏が住みついてから現在まで、この町の景気が良かったことは一度もない。したがって刈谷氏の仕事も順調とはいえなかった。

 

刈谷氏が住んでいる借家の家主は、この小さな町ではそこそこに資産家だ。そしてそこそこにお人好しでもある。

刈谷氏は、先ずは仕事先の紹介を、ついで家賃の遅延について、さらには事業用の借金を家主から引き出した。人の好い家主はもちろん、その親族、さらには知人などそれぞれに向けたアプローチの仕方で心を掴んでいった。彼からすれば田舎の人間はなんと単純に見えたことだろう。

ついにはハウスメーカーと組んで福祉施設の建設まで家主にさせてしまった。介護士たちのグループが新設する会社への建て貸しという話で、この新会社への出資ないしは貸金の話もセットについてきた。

事業計画は無理があり、さすがに一部親族は反対した。だが刈谷氏の狡猾さ、厚顔さが勝ったようで、いろいろと吹き込まれた家主は刈谷氏の計画どおりに金を出した。

建築をした業者からのバックがどれくらいだったかは不明だが、刈谷氏はそれでは飽き足らず、福祉施設の運営にまで関わろうとした。

結局、介護士グループが作った会社は経営に失敗、数千万円の貸金は戻らなかった。また建物は別の運営会社に当初計画よりもかなり安く賃貸されている。

 

福祉施設建設の話が出たとき、さすがに刈谷氏を怪しんだ親族が、刈谷氏が経営する有限会社Aの登記簿謄本を取りに行った。なにかヤバいところが絡んでいるのではないか心配してのことである。

しかし、予想はハズレた。そもそも有限会社Aなど登記されていない、存在しない法人だったのだ。まあ、倒産でもしない限り、会社として存在しているかどうかは実際にはあまり関係ないかもしれない。しかし登記なしで有限会社を名乗ることは法に触れている。

 

もうひとつ。刈谷氏の年齢について。

家主との会話の中では50代と話していた。実際の見た目もそんなものだ。

しかし、家主が賃貸借契約の時に受け取った住民票の記載からすると、軽く70歳を超えていることになる。

実在する「刈谷氏」と住民票の「刈谷氏」は、本当に同一人物なのだろうか?