炭坑夫の末裔たち

かつて炭坑で賑わったまちの日常譚。飽くまでフィクション、です。

三上さんの隣のカルト

 近所のアパートで独り暮らしだった三上さんは、72歳という割には風貌も若々しく、人懐っこくて社交的な性格だった。スリムな体形にいつもジーンズ。もちろん"Mom Jeans"なんかじゃない、普通のジーパンだ。口ひげをたくわえ、晩年のチェット・ベイカーにもどこか似ている。若いころはけっこうな美男子だったはずだ。

 そんな三上さんが倒れて救急車が呼ばれ、なんとその晩のうちに搬送先のO病院で亡くなった。前日の朝、私が道で出会ったときは元気だったし、入院した時も普通に会話できていたらしいのだが。救急指定病院のなかでもO病院だけは絶対にヤバい、という地元民の風評がもっともらしく思えてくる。

 

 その日の昼食後、三上さんはとつぜん気分が悪くなり、自宅アパートの玄関でうずくまっていたらしい。偶然に訪れた市の職員に発見され、救急車が手配された。一人暮らしで身内の所在も不明だったため、近所に住む家主に連絡が入った。

 ほどなく救急車が到着したがアパート入口の路地は狭く、ぎりぎり車体が入れるほど。じわり、じわりと少しずつ近づく車体を待つことの何ともどかしかったことか。その間、別の救急隊員により三上さんの容態が確認される

 

 しかしこのとき、タイミング悪くアパートの隣部屋の住人が車で帰ってきた。隣は50歳くらいの母親と20歳くらいの娘の二人暮らし世帯だが、その娘の方だった。

 救急車で入口がふさがれているため、自分のワゴンRが進入できないと気付くや、娘はけたたましくクラクションを鳴らした。ヤンキー車に似合う下品で間抜けな音が「パアアアアアン、パアアアアアン、パアアアアアアアン」と響く。運転席にはあごを突き出し鼻の穴を広げたプリン頭の女が救急隊員を睨みつけている。

 このバカ娘は、白地に赤いストライプがはいったハイエースが停車し、屋根の赤い回転灯がくるくる回っている状態が、いったいどんな状況を意味しているのかわからないのだろうか?

 

 ところで、すぐ近所にTストアというディスカウントストアがある。このTストア、激安だが値段相応に怪しい商品ラインナップで知られている。生鮮食料品も激安品が置いてあり、それなりに需要があり売れているらしいが、正直言って私は買いたくない。また、近所の者は冗談で「あそこは商品の仕入れ値だけじゃなくて人件費も激安に違いない」と囁き合っている。事実、店員の表情や声は暗く、レジ係の動作も緩慢で、「こりゃ安く上げたな」との思いを禁じえない。

  実は、隣の母娘はそろってこのTストアで働いている。娘はその休み時間に家に戻ってきたというわけだ。

 

 少し待ってもらえるように救急隊員が状況の説明を試みたが、聞く耳を持たぬ。そっぽを向いてクラクションを鳴らし続ける。救急車はいったん表通りへ出ざるを得なかった。

 アパートの前までクルマをつけたあと、娘は部屋に入っていった。かと思うと、ほんの2~3分で出てきて、また車に乗って立ち去った。

 

 野次馬に来ていた近所の者たちも呆気にとられた。

「なんじゃあ、あのクズは!今度見かけたら蹴りあげちゃろいね!」

 血気盛んなオバサンが叫ぶ。

 それに応えて、昔からこの家族を知る自治会の班長さんは、娘の非常識を責め立ててやるなと釘をさす。

「しかしあの子もねえ、ほんと不憫。可哀相なんだよ。」

 

 班長さんの説明は、こんな感じだった。

 

 娘の母親は某キリスト教カルト教団のベテラン信者だ。十年ちょっと前に地元の金融機関に勤める夫と離婚し娘と二人で暮らし始めたのも、母親の信仰からくる非社会的な行動や子育て方針での意見の相違が原因だった。

 たとえば異教の信仰や土着的な風習に対する不寛容は徹底していた。親戚や近所の人の葬儀も異教のものなら参列しない。クリスマスや親戚友人の誕生会には参加しないし祝いの言葉も述べない。墓参りには行かない。年賀状は出さない。新年最初に会っても「あけましておめでとうございます」と言わない。節分は参加しない。命を落とす危険があっても輸血は行わない、血抜きが徹底されてないという理由でクジラ肉は食わない。学校の体育での武道の授業はボイコット(だが単位は要求)。・・・などなど、人づきあいの弊害になるような禁忌が多い。

 母親は自分でそうするだけではなく、まだ小学校低学年だった娘にもそう行動させた。級友だけでない、教師を含む周囲の大人も容赦なく奇異の視線を寄こしてきた。

 親戚や周囲の者たちは、小さな子供に自分の信仰を押付けるのはやめるべきだと注意した。が、それらの行動は娘が自分の信仰にもとづいて選んだ行動だと主張し、娘にもそう語らせた。小学校低学年の子供が、だ。何たるナンセンス!であるが当時、夫や親戚たちも疲れて匙を投げてしまった。

 

 出口なし。

 娘も成長し、中学校卒業が近づき、進路を考える時期になる。

 学校での成績は悪くはなかった。普通に県立進学校にも余裕で合格できたはずだ。しかし、学問を修めたり、一般的な職業に就くのを希望することは、カルト内では「世俗的なこと」と否定された。娘は、(おそらく不本意ながら)このカルトの専従職員的な信者を目指すと言わざるを得なかった。

 進学のための勉強も許されず、憧れる職業を語ることも憚られた。そのころ、本当は何をしたかったのだろう、何になりたかったのだろう。この娘に聞いても絶対に教えてはくれないだろうし、もしかしたら本人も既に分からなくなっているかも。

 ただ、カルトの専従職員になりたいというのは、やはり本心でなかったようだ。結局、娘は教団を離脱し、いまはTストアのレジ係として日々をやり過ごしている。

 まだまだ若い、やり直しは効く。というのは、歳を重ねた人間の言い草だろうか。

 

 そういえば、三上さんが生前に言ってたことを思い出した。真夜中、隣から激しい喧嘩が聞こえてくることがよくある。昼間は無口な娘が化け物みたいな声で母親をなじり、何かが投げつけられる音がするそうだ。